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レポート
応援メッセージ 206
本プロジェクトに寄せられたコメントをご紹介!
第6弾はこちらの方たちからのコメントをご覧ください。
■アクメ
2つのバンドで始動ライブ、個人としてもバースデーワンマンをやった特別な会場です。
バンドも例外なく影響を受けています、そんな中でお世話になった場所や友人たちのピンチを目の当たりにして自分の無力さに情けなくなる日もあります。きっと同じ気持ちの人もいると思います。小さなことでもいい、出来ることをしましょう。
一番大事なのは音楽を通じて手に入れた絆や知識はどんな脅威にも奪われないということを忘れないこと。終息後も才能あるアーティストたちが新宿ロフトのステージを彩ってくれるでしょう、
そんな未来を一緒に見ましょう。1日も早い終息を祈っております。
<CHISA>
大変な時期です。みんなで頑張りましょう!
<将吾>
新宿ロフトはアクメを始めてから初めてライブをした大切な場所であり思い出の多いライブハウスです。
そんな僕らにとって大事な新宿ロフトのステージにまた必ず立てる日を願って今のこの苦しい時期を一緒に乗り越えていきたいです。
<RIKITO>
新宿ロフトは数々のアーティストが伝説を残し、バンドマンたちの憧れのライブハウスで日本の音楽史には欠かせません。
アクメの初ライブも新宿ロフトでした。アクメでは名物巨大オムライスも食べていません。
新宿ロフトはこれからもバンドマン、音楽ファンにとつて必要な存在なのでみんなで協力して残して行きましょう。
<HAL>
■ATOM ON SPHERE
今年2月に開催された20th Anniversaryイベントに出演させていただいた時にはこんな日常になるとは夢にも思っていませんでした。
新宿LOFTは僕たちにとっても、とても大切な場所です。
この事態が1日も早く終息し、また新宿LOFTでみんなに会える日を心から願っています。
■exist†trace
新宿LOFT、ライブを観に行った事もあったし、バンドを始めてからは様々な共催イベントを行いましたね。
沢山の思い出がある場所。
自分達にとっても、大切な新宿LOFT。
そのステージへまた戻れる様に、今は自分の声を磨いておきます。
だから負けないで。
必ずまた面白いイベントを一緒に開催しましょう。
<ジョウ / Vo>
「僕、弟さんの同級生なんです」
その日の共演者さんの一人に、思いがけない声のかけられ方をしたのは新宿LOFTでのリハーサル中。
音楽や人と偶然の出会いが多発する素敵な場所、それが新宿LOFTです。
いつも「おかえり」って顔で迎えてくれるみなさん。ステージのセッティングもガンガン手伝ってくれて、音の相談も親身に聴いてくれるみなさん。
嬉しかったり悔しかったりいろんな気持ちを思い出す市松模様のステージとオムライス。
必ず再会してより良い音を、より楽しい時間をと、また一緒に試行錯誤してゆきたい。
私たちが「生きてるー!」って実感できるこの場所を、今だけじゃなくずっと守ってゆきたい。
Forever Shinjuku Loft!
<miko / Gt&Vo>
とても大切で、大好きなライブハウスです。
お世話になったスタッフの皆さん、必死につくり上げたイベント、熱く奏でた音、お客さんの声、笑顔、其処にある沢山の想い…熱い一瞬一瞬を、鮮明に思い出します。
今何が出来るのか、何が正しいのか、簡単に言葉には出来ないけれど…自分に出来ることを探していきます。
新宿ロフトで、またライブをしたいです。
<乙魅 / Gt>
いつも暖かく迎えてくれるLOFT。
イベントを共に行い、沢山のイベントにも出させて貰った。
LOFTに行くといつも、搬入リハから帰る瞬間まで安心してステージに集中できた。
それはLOFTスタッフ皆さんの行動一つ一つのお陰。
安心して共にステージを作る事が出来るんだ。
それって簡単な事ではないし、一人ではなく皆さんがその空気を作ってくれている。本当に感謝しかない。
打ち上げのLOFT飯はメンバー皆で毎回写真を撮る程に好きだ。
そんなLOFTとまた同じステージを共に作りたい。
その日を信じて、今は自分と周りを大切に凄そう。
LOFTへ愛を込めて。
<猶人 / Ba>
ライブ出演となると、自然と気合いが入り、とてもパワーに満ちたステージには楽しい思い出しかありません!
そして、ふらっと遊びに行っても受け入れてくれて、スタッフの皆さんの暖かさが感じられる大好きな場所です!
そんな場所で、またみんなと一緒に笑いあえる瞬間を楽しみにしながら、今を生きよう!!
フォーエバーシンジュクロフト!!
<Mally / Dr>
■生熊耕治(cune / BLUEVINE)
僕の初めての東京ワンマンは西新宿にあった頃LOFT。
BOφWYが大好きだったバンドキッズが自身のバンドで、しかも東京初ワンマンが新宿LOFTなんて夢みたいだった。
上手のモニターが低くて、ひょっとして布袋さんが下手が定位置になったのはLOFTの影響?なんて当時は思ってたなぁ。
市松模様も僕にとっては憧れ。
歌舞伎町に移動になってからも沢山の節目でLOFTに立った。
今、全国のライブハウスやクラブが大変な時期にあり、ミュージシャン、音楽関係者と手を取り合って頑張らないと大切な思い出も場所も無くなってしまう。
失ってからでは遅い。
これからも末永くLOFTと生きていけますように。
■OLEDICKFOGGY
OLEDICKFOGGYと新宿LOFTとの関係は深く、長いものになりました。全国縦断ツアーの初日、ファイナルのワンマン・ライブをLOFTにて数えきれないぐらい開催させて頂いてます。
そして、LOFTスタッフの多くの方々がOLEDICKFOGGYを熱心に、純粋に、我々の活動をサポートしてくれています。
さらにLOFTを辞めてからもOLEDICKFOGGYのライブ・スタッフとして、サポートして頂ける方々も数多く存在します。いつも、本当にありがとうございます。
バンドの活動の重要なターニング・ポイントとして、常にLOFTが存在してきました。これからも、そうであり続けていきたいと思います。
また、あの「黒と白のタイルのステージ」に立てるために、偉大な先人の方々が立ってきた、あの歴史あるステージに立つために、来るべきライブ活動再開の時のために、刀を磨いていきます。
これからも、よろしくお願いいたします。
■音速ライン
ロフトは勝手に実家だと思ってます。
デビュー前から今まで計り知れないほど思い出を作ってもらった場所。
ギリギリ20代の自分が見え隠れして照れくさい気もしますが、ロフトは僕の青春そのもの。ステージ、楽屋、バー、スタッフさん達の顔、その全てが僕にとってはなくてはならないものです。コロナの影響で本当に危機的状況ですが、きっと乗り越えられると信じてます。
出来る事があったら何でも言ってください。
ロフトは不滅!
<藤井敬之>
自分の憧れのライブハウス。今でもそれは自分の中で変わらない。そんな中でロフトで沢山の思い出を作らせてもらって、その感謝は言葉では言い表せない。
しかし、新型コロナウィルスによって、こんな事態になるとはホントに思いもしなかった。それは、ライブハウスに出演する方、もっと言えば、そこで、ロフトや音楽に従事する方々は本当に苦しい思いをしてると感じてます。
自分は個人的な意見になってしまいますが、やはり好きな場所、なくてはならない場所としてロフトはあります。
本当にロフトの樋口さん始め、スタッフさん全員に感謝しつつ、少しでも助けになればと思いこの文章を書いてます。
どうかこんな駄文を読んでいただいて、少しでも読んでいただいてる方々に気持ちが届きますよう。
<大久保剛>
■GOTCHAROCKA
いかにライブハウスとは僕らにとって重要な場所だったか、最近特に考えます。
新宿ロフトさんにはイベントライブ、そして撮影場所としてもお世話になりました。
とあるライブの日の入りをした瞬間の事を思い出すと、ああ、こんな柄の床だったかな。ここにスピーカーがあってステージの高さがどのくらいで、
確か楽屋の行き方は…なんて追想していると心が華やぐのを感じます。
今はCOVID-19の影響で世界中厳しい状況が続いています。
生活様式も変わり、それに応じてエンタメの形式も少なからず以前とは変化していかなきゃいけないのかもしれませんが、ライブという文化だけは絶やしてはいけないと切に思っています。必ずこの危機を乗り越えて、再び新宿ロフトのステージに立てる事を楽しみにしています。
<樹威>
新宿LOFTと言えば、僕にとっては自分の憧れたミュージシャンの方達も聖地と呼ぶほどの伝統ある素晴らしい場所で、得体の知れない大きい何かが宿ってるような感覚を受けます。
初めてLIVEをさせてもらう時、少し緊張しながら会場の扉を開けたのを覚えています。
そこからLIVEでお世話になったり、撮影で使わせていただいたり、LIVEを観に行かせてもらったりと僕にとっても思い入れのある場所となりました。
これからも僕たちを含め沢山のバンドにとって熱くて素晴らしいライブハウスであってほしいです。
この苦しい状況を共に乗り越えてまたLOFTのステージに立てること、みなさんと笑顔で会えることを楽しみにしています。そしてオムライスも食べたいです!
<JUN>
アーティストとしてステージに立たせていただいてから長い事お世話になっているライブハウス。
振り返ってみると楽しかった記憶や、プレイ面等で苦い記憶もあったりと、いっぱい成長させていただいたなって思います。
今回世の中がこんな事態になってしまい、厳しい状況が続いていますが
皆で一緒にこの苦難を必ず乗り越えましょう!
そしてまたライブをさせていただき、沢山笑いながらお酒を交わしましょうね。
<十夜>
■Kaya
LOFTは皆さんに必要とされている大切な場所。
そして私もまだまだLOFTで歌いたい。
そんな場所を守りたい。ともに乗り越えましょう。
どうぞこれからも側に。
■Kra
新宿ロフトさん
Kraも随分と前からお世話になってます。
イベントからプライベートの飲みの楽しみなどたくさんお世話になってます。
このコロナ禍でロフトさんも大打撃だと思います。僕らで何かしらお手伝い出来たらと思っています。
エンタメ業全般大打撃ですけれども、収束した時に戻る場所が無いのは我々演者にとっても大打撃です。
通常ライブもアコースティックもまたロフトさんでやりたいので、みんなで力合わせてライブ業界を守りましょう。
■SAKANAMON
新宿LOFTに始めて出演出来た時、憧れのステージに立つ嬉しさと緊張でブルブル震えました。
当時の僕等の集客(友達)はいつも数人。
楽しくて悔しいライブをした後、ブッキングしてくれた樋口さんに鼓舞して貰って、最後は阿保みたいな楽しい打ち上げで夜を明かす日々でした。
数年後、ロフトのステージから地面が見えないライブをした時は嬉しかったなあ~。
かれこれ10年の付き合いになります。
本当に大切な経験を積ませてもらいました。
勿論今でもお世話になりまくってますしこれからも迷惑かけます。ごめんなさい。
恩返ししなくちゃ。
応援します。してます。
またライブが観れる日を、出来る日を心から楽しみにしています。
<gt.vo 藤森元生>
■The STRUMMERS
我々にとって新宿LOFTは憧れの聖地、そして特別な場所であり続けている。旧LOFT時代からの35年に渡るバンドヒストリーの中で訪れた幾つもの節目の時、俺達が向かうのは決まってLOFTのステージでした。
今この非常事態の中で活動を奪われたロッカー達、そしてファンやハコで働くスタッフ達、誰もがライヴ再開の日を待ち望んでいます。だから新宿LOFTに願う。やっと光が差したその時、目指す場所の象徴として、ロックの聖地として、これまで通り存在し続けて欲しいという事を。
我々も再びあのステージに立つ事を待ちわびながら最大限のYELLを送りたいと思います。
■THE STREET BEATS
1987年10月の東京初ライブ、1988年2月の東京初ワンマンライブ、そのどちらもが新宿LOFTだった。まだLOFTが西新宿の小滝橋通りにあった30年以上も前の話だ。1999年3月に西新宿のLOFTが最後を迎えた時もそのステージに立っていた。
歌舞伎町に移ってからも毎年の年明けライブ、春のツアーファイナル、夏のビーツマニア、と必ず年に3回はLOFTワンマンをやらせてもらってきた。
2020年も当然その予定だった。憎き忌々しいコロナめ。LOFTはホームグランドであり、次にまたみんなと会うための大切な約束の場所だ。無くならせてたまるかよ。
音楽とライブを愛する全ての人達、力を合わせてこの窮地を乗り越えよう。愛するLOFTにどうかご支援を!
<OKI>
■THE SLUT BANKS
個人的には西口にあったころからの長い付き合いになる新宿ロフト。気がつきゃ人生の半分以上の付き合いじゃないですか。いつの時代のいつのバンドでも必ず世話になったステージです。
スラットバンクスも2007年のロフト大晦日オールナイトで蘇生復活して以来しぶとくまだやってます。すげージジイになっちゃったけど、更なるジジイになってもまだまだ世話になりたいステージなので、ぐっと踏ん張ってほしい。お互い頑張りましょう。
<戸城憲夫>
新宿ロフト、
2020.10月にはG.D.FLICKERS35周年の祝祭がありスラットバンクスも出演します。
延期だとか中止だとかそんなんばっか続きヤダもーってな日が続きますがみんなでお祝い出来ることをたのしみにしていまーす
<TUSK>
■The THIRTEEN
雑多な街の中、キナくさい地下へと続く階段を下る。
広がる特徴的なブロックチェックの床は音楽の歴史を沢山刻んだ跡。
そこは新宿に在るべきロックの聖地。
<真緒>
ライブバンドの聖地にやっと立たせて貰えたのはThe THIRTEENが初めてでした。
色々語り継がれる聖地に自分も立てたのはバンド冥利に尽きます。
そんなたくさんの方々の大切な場所はまだまだ絶やすべきではないです。
共に乗り越えましょう。
そしてまたこのLOFTでギター弾かせて下さい。
<美月>
■左迅(ex.girugamesh)
音楽は、ライブハウスは無くなっちゃいけません。
新宿LOETのオムライスも無くなっちゃいけません。
また食わせて下さい。
■THE BLACK COMET CLUB BAND
新宿育ちで早熟?だった中学生の俺は、
小滝橋通りの途中でママチャリを停車させ、
きったねえ看板を睨み上げ、
いつか必ず出てやるぜ!って心で叫んで。
それから数年後、その夢は叶い、いくつかのバンドでステージに立ち、
友人のバンドの演奏を金も払わず楽屋から忍び込んで観戦したり。
歌舞伎町への移転後は、出演回数はぐいっと増え、
なんとなくフラリと立ち寄っても、
店長やスタッフに自然と溶け込めてる自分を誇らしく思ったり。
LOFTへ行けてないこの数ヶ月、
あの階段を降りるイメージを脳内で再生してみたら、
出迎えてくれるスタッフの顔が浮かんで。
なんだろうあの安心感。
多分、みんな、音楽業界で働きたい!ライブハウスで働いてみたい!
ってよりも、LOFTで働きたい!ってスタッフしかいないんだ、きっと。
ひとこと、LOFT愛ですわね。
あー、俺もあるなー、LOFT愛。
LOFTの為なら何でもするぜ。
何でも言ってくれ。
出来なさそうなことは言わないでね。
コロナ収まったら、フラリと立ち寄ります。
<髙野 哲>
■THE BELGA
山口県の田舎から東京へ。目指すは新宿LOFTただ一つ。学校で教えて貰えなかった遊びは全部LOFTで教えて貰った。LOFTに行けば誰かに会える。俺にとっては東京の実家のよう。
日本のロックのシーンは全てLOFTに繋がる。LOFT無くしてここまでの音楽の発展は無かっただろう。そしてLOFT無くしてこれからのライブハウスに未来はない。
<吉岡James憲弘>
■ZIGZO
「LOFTのケチャップまみれのオムライスで、ライブで失われた塩分を補給できる日まで、
みなさん頑張りましょう!」
<髙野 哲>
LOFTのあのステージに、また立てる日が
早く来る事を、心待ちにしているよ。
<RYO>
みなさま!また新宿LOFTで逢いましょうぞ!!!
<DEN>
過去を取り戻し、更に輝かせる未来はあるはず。
今は、未来の為の心の備蓄期間。
LOFTとZIGZOと皆とで再会を果たしましょうね。
<Sakura(Rayflower / gibkiy gibkiy gibkiy / THE MADCAP LAUGHS / ZIGZO)>
■ZIZ
新宿LOFT、聖地でありホームであり、とても大切な特別な場所。数えきれないほどの刺激を貰い、お世話にもなった場所。ZIZが生まれた場所。この困難を乗り越えて、また爆音で、この聖地で、みんなと再会できるその日まで!みんな、生きるぞ!!
<Közi>
その昔は百人町時代から現在の歌舞伎町に至るまで自分史的にも要所要所で大変お世話になっております新宿Loftさん。変わらぬ雰囲気と素晴らしいスタッフ陣、これからもずっと守り続けてもらいたい、私共ZIZも応援し続けます。
<Sugiya>
今も昔も憧れの新宿LOFT。最高の音、最高の笑顔、最高のご飯、最高のお酒。どれをとっても最高なのです!!そんな最高の遊び場、新宿LOFTさんをこれからもずっと応援していきます!
<Yugami>
高校生の頃から新宿LOFTのステージに絶対に立つんだ!!と夢見て愛知県岡崎市から上京してきました。
近年では何年も連続で自分の誕生日イベントを開催させて頂いたり、ZIZの初ライブやレコ発、あらゆるバンドで出演させて頂いたり、自分がバーテンをするイベントをしたり、、大切な思い出が沢山この場所には詰まっています。
これからも更にその大切な思い出をスタッフの皆様と、そして新宿LOFTにワクワクしながら足を運んで下さる皆様と増やして行きたい、かけがいの無いライブハウス!!それが新宿LOFTさんです!!!!!!これからもずっとずっと応援して行きます!!!!!!
<Chargeeeeee...>
■G.D.FLICKERS
1981年4月上京してすぐ初めてLOFTに行った。ChaosでPunkでRockな空間に圧倒されたよ。
他にはない“えげつない空気”がたまらなく、アホみたいに通った。
83年くらいから憧れのステージに立てるようになり、毎晩のように飲みにも行けば仲間も増えてかけがえのない場所になっちまった。
数えきれないRockerたちが同じ気持ちであの市松模様を宝物にしてるはず。
そしてLOFTに通う全ての強者たちが“居場所”を守るに決まってるんだ。
客席もステージもそれぞれのたまったRockを爆発できることを信じて。
Keep The Loft!クソコロナなんかに負けるわけねぇから。
<稲田 錠>
■高木フトシ
大好きな市松模様。数少ないカルチャー発信地。ピラミッドの底辺の聖地。そんなLoftでまた歌い叫べる日を待ち望んでます。共に、互いに、乗り越えて行きましょう。
■高畠正人【ライター&ライブ写真家】
どんなバンドだって市松模様のあのステージに立ったらカッコよくなる。必然的に写真を撮るときも力が入る。だからロフトで撮った写真はいつも満足。
きっとステージにこれまで積み重ねられたロックの魂が宿ってるからだろう。ブッキング、ステージ周り、PA、照明、ドリンク、Rooftop編集さん、そして店長さんの想いが詰まった新宿ロフト。
“Forever Shinjuku Loft”!また共催企画をやりたい!今はとにかく市街模様のステージが恋しい!
■宙也
愛しき地下。
20歳の時はじめてその場に立った。
そこからすべてが始まった。
いわば第二の母。
混沌なる故郷。
産んでくれて育ててくれてありがとう。
またすぐそこに行って歌います。
お元気で。
ロフト、あなたは永遠。
■T$UYO$HI(The BONEZ / PaymoneyTomyPain)
最後にLIVEをしたのは2007年1月のPTPの企画ですね。
あれ以来13年ぶりに今年はLIVEのはずでした。デビューして20年って日に。
自分がお客さんとして通ってたLIVE HOUSEなんでね。やはりもう一回立ちたいんですよ。振替公演是非やらせてくださいね。
■TEARS OF THE REBEL
今も昔も新宿ロフトはバンドマンにとって、音楽シーンにとって特別な存在。
いつまでも存在し歴史を刻み続けていかなければならない小屋。
また最高にイカしたROCKが毎晩奏でられる様、今は踏ん張りどころ。
皆さんの力と共に。
<Takatoshi Murase>
運良く18の頃憧れの市松模様...新宿ロフトに初めて出演しました。その後のバンドでは初ライブやイベント、ワンマン、ラストライブなどを演らせてもらい、数々の先輩や憧れのバンド観に行ったりと今も変わらず大切な場所。
歴史とこれからのバンドマンの未来を皆さんと共に守っていけたら最高です。
<YOSHIPONxxx>
■DaizyStripper
ROCKの聖地はどれだけの笑顔を生み出して来ただろう。
勇気や希望を与えられる場所が永遠で在りますように。
また楽しいライブと打ち上げしましょう。
<夕霧>
DaizyStripperが結成当初からお世話になってるLIVE HOUSEの1つである新宿LOFT
またあのステージで魂の解放し、もう出逢えないこの「1秒」に今を刻む時が来る日を楽しみにしています。
<なお>
数々の名演が溢れたこの市松模様の音楽の溜まり場に、これからも音楽が溢れている所を観たいです!
共に頑張って今を乗り越えましょう!!
<まゆ>
DaizyStripperとしてステージに立たせて頂いたことがあり、思い出が詰まった新宿LOFT!事態が収束し、また笑顔満ち溢れ活気的なステージとなる日を楽しみにしています!
<Rei>
新宿LOFT、スタッフ一丸となってその日のギグに全力で取り組んでくれるところがとても好き。だから数々の伝説が生まれ、ロックの歴史そのものが詰まった聖地になったんだと思います。
そんな素晴らしいこの場所をみんなで守りましょう。また市松柄の床の上でみんなで暴れられる日を、心待ちにしてます。Rock it!
<Kazami>
■DEZERT
新宿loft
色んな音との出会いの場。
色んな人との出会いの場。
僕にとって特別なライブハウスの一つです。
愛に包まれたあの空間、絶対に日本のロックシーンにおいて必要不可欠なみんなの場所です。
今、苦しくない人はいないと思います。
僕も何をしたらいいのか、何を音楽人としてやるべきか日々模索しています。
もしこのコメント、そしてloft foreverという新宿ロフトが発案した企画を読んで、少しでも何か共鳴したことがありましたらいつかまた新宿ロフトで共鳴できる事を祈って、お力になってもらえたらと思います。もちろん僕もできることはさせて頂きたく思っております。
一緒に願晴りたいです。
1日でも早く新宿loftで共鳴できますように。
<SORA>
■DuelJewel
ミュージシャンを夢見てメンバー探しに明け暮れていた16歳の頃、当時のLOFTで先輩のライブを見させてもらい、心底羨ましかった事を思い出します。
先輩と言えど、まだまだ演奏も歌もアマチュアのレベルだったように思うけれど、一生懸命に真っ直ぐにステージで演奏する姿がとても素敵でした。
何よりもそんな素晴らしい経験を共有出来る仲間を見つけられた事が、すでに奇跡なのだと思います。今多くの困難と向き合うライブ会場や音楽を愛する全ての方の想いが、必ず報われる日が来ると思います。それまで助け合いながら乗り越え行きましょう!!
<隼人>
大変な事態になってしまい思う事は沢山あるけれど、音楽やライブハウスが悪い訳じゃない事はきっと音楽を愛している人ならわかっているはず。
大ダメージを受けている音楽業界の中で、この先どうなるかは誰にも想像がつかないけれど
「伝説」と称される新宿LOFTさんにはこの先も伝説を生み出し続けてほしいですし、いつかまたライブが当たり前に出来るような時期が来たら、このライブハウスで演奏をする事を夢見ているアーティストに、あの特製オムライスの感動を与え続けられる素敵なライブハウスであり続けてほしいと思います!
<Shun>
まずは謝らせてください。オムライスのケチャップのかかった部分を優先的に食べていたのは僕です。
楽屋もステージもLOFT独特のTheライブハウス200%のあの雰囲気の中にいつも陶酔していました。当然ライブ後の揚げ物も五臓六腑に染み渡り、カロリーも気にせずビールで流し込む覚悟もいつも容易に決まっていたものです。
いつも通り、入りするだけでワクワクするライブハウスであり続けてください。Forever!!
<祐弥>
普段はご一緒できない先輩方とご一緒でき、勉強ができる貴重なライブハウスだと思ってます。
そういうライブを実現できるライブハウスでまた早くライブが出来る事を楽しみにしてます!
<Natsuki>
数々のアーティストを育ててきた日本を代表するライブハウスの一つであるLOFTさん。
DuelJewelとしても何度もステージに立たせていただきました。
バンドもライブハウスも今非常に大変な時期ですが、なんとか今を乗り越えて
再びLOFTで演奏できる日を楽しみにしてます!!
<ばる>
■D’ERLANGER
僕らの当たり前のLIFE STYLEになっている「LIVE」
生きて行く上でなくてはならない「LIVE」
一緒に育っていると言っても過言ではない「LIVE HOUSE」
新宿ロフトは、D’ERLANGERが毎年必ず行う特別なLIVEもあったり、
年に一度ドラマーが集まる一番大きいドラム会も行っている。
特別なハコである。
先人からの途轍もない歴史も残り、今もなお歴史が刻まれている、
新宿ロフト、これからも共に歩みたい!
必ず乗り越えてまた大暴れしましょう。
<Tetsu>
■東京カランコロン
新宿LOFTでのライブは思い出深いものがたくさんありますが、一番覚えているのはピロウズ先輩に誘ってもらったイベント。
その日はピロウズ初代サポートベーシストの鹿島さんが特別に参加して、ピロウズの最初期の頃の曲も披露されるという一種パーティ的なノリのある日で。
おれはそんな事とは知らず(当然出番はカランコロンが先)、おれ自身その時バンドをやるのがかなりしんどくなっていて、まさかの過去にピロウズvoさわおさんに励ましてもらった話をライブのMC中にしてたら、思わず泣き出してしまう、という超絶恥ずかしい思い出があります。
まぁ、おれの話は取るに足らないとして(笑)、もっとたくさんの奇跡が起きたであろう新宿LOFTには絶対に無くなってほしくありません。
みんなの力を音楽と、ライブハウスが起こす奇跡を残していきましょう。
<gt.vo いちろー>
■NAOKI(FANTASISTA)
新宿ロフトは色んな感情と経験と学び、自分を成長させてくれた大切で特別な場所。
たくさんのアーティストの音色に刺激を受け、オーディエンスの最高の笑顔を見て、全ての魂が共鳴し合い感動が生まれる。
音楽の『絆』は人にとってなくてはならない存在!
今はとっても苦しい状況でも、夢、希望、愛を胸に、あの市松模様のステージに立てる日まで、
皆でロックの聖地!新宿ロフトを応援し守って行きましょう!
そして共に顔を上げ、笑顔で再会しましょう
■長尾健太郎(RAD CREATION)
僕が新宿LOFTに初めて行ったのは2016年。
当時担当していたバンドのライブで伺ったのですが、樋口さんが僕の大好きなバンドを担当していたということを聞いてバンドそっちのけで酒を飲んで意気投合したことを覚えています。
その後はTOKYO CALLINGで会場担当や共同企画をやらせていただいたり
新宿LOFTの歴史の一つに自分もなれたようで嬉しかった。
僕が生まれた年より長く続くライブハウス。これからもずっとずっとその背中を見せて欲しい。
■中島卓偉
1995年から1997年くらいだったでしょうか、10代だった僕はPUNKバンドをやってまして、新宿LOFTの昼の部にせめて出たくて、デモテープを送り、または直接お渡しに行ったりしました。
が、何回断られただろうな、「PUNKなのに歌が上手過ぎる」「全曲ポップなんだけどジャンルが幅広すぎてわかりづらい」そんなことを言われました。
1999年にデビューして4~5年経った頃でしょうか、新宿LOFTのイベントに呼んでもらえました。素直に嬉しかったです。スタッフに嫌な人が一人もいませんでした。僕にああいうことを言った人は誰だったんでしょうか。こういうことを今書くってのはお約束でしょう(笑)
僕はソロでありながらバンドっぽい音を鳴らし、ジャンルに囚われない幅広い曲を書き、歌ってパフォーマンスするスタイルを21年貫いて来ました。
PUNKなのに歌が上手過ぎる、全曲ポップなんだけどジャンルが幅広すぎてわかりづらい、そういう感じが中島卓偉のスタイルです。本当に良く言ってくれたと思っています。だからこそ貫いてこれました。
新宿LOFTこそジャンルが幅広過ぎるバンドが出まくり、ロックを貫いてこられた最高のライヴハウス。今後もめちゃくちゃにやっていってもらいたいです。こんなことに絶対に負けてほしくない。日本一のライヴハウスだと僕は信じています。
何か出来ることがあればいつでも言ってください。
今後ともよろしくお願いします。
■ネクライトーキー
ロフトって結構広くて、最大で五百から六百人くらい入るんですよね。なのでブッキングイベントとか、割と頑張って人呼んでも全然ガラガラだったりするんです。大変だ。
それでも樋口さんって愛を持ってバンドに接してくれるから、「このハコに恩義を返したい」って僕個人はそう強く思えるんです。
ただ打ち上げはスパルタ。樋口さんが本格的に酔い始めるともうダメです。終わらない。朝の七時まで続いて「でもね、緑茶ハイは残らないから大丈夫なの」って言いながら飲み続けていたのにその後Twitterに思いっきり「二日酔いで頭痛い」って書いてました。
そういえば俺はまだパンパンに埋まったロフトでライブしてないです。あんなに広いロフトが自分たちを見に来てくれた人で埋まる瞬間を見てみたい。その日はまた朝まで打ち上げしましょう。
<朝日(Gt)>
■BALZAC
バンドがスタートしたときから、とにかく新宿LOFTに出演するのが僕らの目標でした。まだ西新宿小滝橋通りにあった頃に初出演させていただいて以来、もう四半世紀近くになります。
これまでいろいろな経験をさせてもらったし、今もライブのときは、スタッフの方々の温かさにホームに帰ってきた安心感があると同時に、絶対的な緊張感もあるのが新宿LOFT。これからも僕にとってずっと特別な場所なんだろなって思います。
打ち上げで出てくる名物のオムライスにケチャップでバンド名を書いてもらえるのも嬉しいしね。今はみんなが苦難のときだけど、乗り越えてまた新宿LOFTでライブできる日を楽しみにしています。
<HIROSUKE>
■HERE
新宿LOFT。僕はインビシブルマンズデスベッド時代からお世話になっています。当時の暴動的なライブも全て受け入れてくれた懐の深いライブハウス。
ここで沢山の仲間と出会い、伝説的ライブを何度も目撃し、20代を過ごした。間違いなく僕のロックは新宿LOFTで創造された。本当に感謝しかない。
またあのステージでハイテンションを爆発させる為に今こそバンドマンの底力の見せどころだ。近い未来に新宿LOFT、そして日本のライブハウスの大復活を信じて!
<尾形回帰>
■緋村剛(ストレイドッグカンパニー、everset)
これまで何度も出演させて頂いたり、たくさんのバンドを見させてもらった大切な聖地。現メンバーのプレイを最初に見たのもこのハコだ。
ステージからの景色やステージ裏の階段や楽屋の風景を今でも思い出す。あの、全体が見えそうで見えない柱のおかげで俺たちは“音”を追求して勝負して、そして育ててもらったんじゃないか?
日本から聖地がなくなるのはどうしようもなくナンセンスだ。
これからも俺たちミュージシャンが集まれる場所、帰れる場所であり続けてほしいです。
■HOTVOX
今も昔も変わらずバンドの憧れのライブハウスであり続ける老舗、新宿LOFT。
ご多分に漏れず我々HOTVOXにとってもそうであり、たくさんの出会い、きっかけを作ってくれたライブハウスです。
このライブハウスに出れる!って言うので1番嬉しかったのは、もしかしたらLOFTかもしれません。
これからも、これから出てくる若手バンドの登竜門としてあり続けて欲しいし、
そしてまだまだ我々もお世話になりましたは言えません。
なり足りていないので(笑)
ここまで来たなら1世紀は続けて欲しいです、全力で応援しております。
歌舞伎町ど真ん中のロックは鳴り止ませません。
■マカロニえんぴつ
白黒タイル、白黒つけずロックバンドが何度もロックバンドになれる場所、祝福のオムライス、照れ笑いと始発、新宿ロフト。
またロックバンドしに行きます。
なきゃ困るんです、帰る場所なので。
<Vo&Gt.はっとり>
■増田勇一【ライター】
新宿西口にあったロックの聖地が歌舞伎町に移転してから、昨年で20年が経過。そんな節目を超えた翌年に、世界がまさかこんな事態に陥ることになろうとは。
旧LOFTに初めて足を運んだのは1982年末あたり、関西メタルが東京に“殴りこみ”をかけてきた当時のことだと記憶している。
ライヴハウスの匂い、入場時にドリンク代がかかるシステム、終演後の打ち上げが終わっても続くBARタイム。建物の外からは想像もつかない地下世界の常識と楽しさを教えてくれたのは、間違いなくLOFTだったように思う。
その場所が、失われるようなことがあってはならない。歴史が染み付いた場所だからではなく、これからも新たな歴史が作られていく場所であるはずだからこそ。
■myeahns
新宿LOFT出演すると、楽屋からステージに向かう通路にはホコリをかぶった数えきれないセットリストが貼ってある。まさに歴史を感じた瞬間でした。これからもライブハウスの歴史を作ってください。
ぼくも歌うことをやめません。
<逸見亮太>
■meiyo
何が何だか分からないまま、いつの間にか、徐々に、全く違う世界になってしまいましたが。すぐに元のようには戻らなくても、思い出で終わらないことを祈るばかりです。
LOFTが無くなったら、自分の目標の二つが永久に叶わなくなってしまいます。ワンマンでソールドアウトすること。あと、とびきりビッグになって倍率何百倍の凱旋ライブすること!だからどうか、存続して欲しいです。
落ち着いたらまた必ずLOFTに出たいです。そしてまた皆さんに会えますように、と願って!
■MOROHA
新宿LOFT、スコールアンドレスポンス。
<アフロ>
受付期間は【6/14(日)23:59】まで。
本プロジェクトに寄せられたコメントをご紹介!
第6弾はこちらの方たちからのコメントをご覧ください。
■アクメ
2つのバンドで始動ライブ、個人としてもバースデーワンマンをやった特別な会場です。
バンドも例外なく影響を受けています、そんな中でお世話になった場所や友人たちのピンチを目の当たりにして自分の無力さに情けなくなる日もあります。きっと同じ気持ちの人もいると思います。小さなことでもいい、出来ることをしましょう。
一番大事なのは音楽を通じて手に入れた絆や知識はどんな脅威にも奪われないということを忘れないこと。終息後も才能あるアーティストたちが新宿ロフトのステージを彩ってくれるでしょう、
そんな未来を一緒に見ましょう。1日も早い終息を祈っております。
<CHISA>
大変な時期です。みんなで頑張りましょう!
<将吾>
新宿ロフトはアクメを始めてから初めてライブをした大切な場所であり思い出の多いライブハウスです。
そんな僕らにとって大事な新宿ロフトのステージにまた必ず立てる日を願って今のこの苦しい時期を一緒に乗り越えていきたいです。
<RIKITO>
新宿ロフトは数々のアーティストが伝説を残し、バンドマンたちの憧れのライブハウスで日本の音楽史には欠かせません。
アクメの初ライブも新宿ロフトでした。アクメでは名物巨大オムライスも食べていません。
新宿ロフトはこれからもバンドマン、音楽ファンにとつて必要な存在なのでみんなで協力して残して行きましょう。
<HAL>
■ATOM ON SPHERE
今年2月に開催された20th Anniversaryイベントに出演させていただいた時にはこんな日常になるとは夢にも思っていませんでした。
新宿LOFTは僕たちにとっても、とても大切な場所です。
この事態が1日も早く終息し、また新宿LOFTでみんなに会える日を心から願っています。
■exist†trace
新宿LOFT、ライブを観に行った事もあったし、バンドを始めてからは様々な共催イベントを行いましたね。
沢山の思い出がある場所。
自分達にとっても、大切な新宿LOFT。
そのステージへまた戻れる様に、今は自分の声を磨いておきます。
だから負けないで。
必ずまた面白いイベントを一緒に開催しましょう。
<ジョウ / Vo>
「僕、弟さんの同級生なんです」
その日の共演者さんの一人に、思いがけない声のかけられ方をしたのは新宿LOFTでのリハーサル中。
音楽や人と偶然の出会いが多発する素敵な場所、それが新宿LOFTです。
いつも「おかえり」って顔で迎えてくれるみなさん。ステージのセッティングもガンガン手伝ってくれて、音の相談も親身に聴いてくれるみなさん。
嬉しかったり悔しかったりいろんな気持ちを思い出す市松模様のステージとオムライス。
必ず再会してより良い音を、より楽しい時間をと、また一緒に試行錯誤してゆきたい。
私たちが「生きてるー!」って実感できるこの場所を、今だけじゃなくずっと守ってゆきたい。
Forever Shinjuku Loft!
<miko / Gt&Vo>
とても大切で、大好きなライブハウスです。
お世話になったスタッフの皆さん、必死につくり上げたイベント、熱く奏でた音、お客さんの声、笑顔、其処にある沢山の想い…熱い一瞬一瞬を、鮮明に思い出します。
今何が出来るのか、何が正しいのか、簡単に言葉には出来ないけれど…自分に出来ることを探していきます。
新宿ロフトで、またライブをしたいです。
<乙魅 / Gt>
いつも暖かく迎えてくれるLOFT。
イベントを共に行い、沢山のイベントにも出させて貰った。
LOFTに行くといつも、搬入リハから帰る瞬間まで安心してステージに集中できた。
それはLOFTスタッフ皆さんの行動一つ一つのお陰。
安心して共にステージを作る事が出来るんだ。
それって簡単な事ではないし、一人ではなく皆さんがその空気を作ってくれている。本当に感謝しかない。
打ち上げのLOFT飯はメンバー皆で毎回写真を撮る程に好きだ。
そんなLOFTとまた同じステージを共に作りたい。
その日を信じて、今は自分と周りを大切に凄そう。
LOFTへ愛を込めて。
<猶人 / Ba>
ライブ出演となると、自然と気合いが入り、とてもパワーに満ちたステージには楽しい思い出しかありません!
そして、ふらっと遊びに行っても受け入れてくれて、スタッフの皆さんの暖かさが感じられる大好きな場所です!
そんな場所で、またみんなと一緒に笑いあえる瞬間を楽しみにしながら、今を生きよう!!
フォーエバーシンジュクロフト!!
<Mally / Dr>
■生熊耕治(cune / BLUEVINE)
僕の初めての東京ワンマンは西新宿にあった頃LOFT。
BOφWYが大好きだったバンドキッズが自身のバンドで、しかも東京初ワンマンが新宿LOFTなんて夢みたいだった。
上手のモニターが低くて、ひょっとして布袋さんが下手が定位置になったのはLOFTの影響?なんて当時は思ってたなぁ。
市松模様も僕にとっては憧れ。
歌舞伎町に移動になってからも沢山の節目でLOFTに立った。
今、全国のライブハウスやクラブが大変な時期にあり、ミュージシャン、音楽関係者と手を取り合って頑張らないと大切な思い出も場所も無くなってしまう。
失ってからでは遅い。
これからも末永くLOFTと生きていけますように。
■OLEDICKFOGGY
OLEDICKFOGGYと新宿LOFTとの関係は深く、長いものになりました。全国縦断ツアーの初日、ファイナルのワンマン・ライブをLOFTにて数えきれないぐらい開催させて頂いてます。
そして、LOFTスタッフの多くの方々がOLEDICKFOGGYを熱心に、純粋に、我々の活動をサポートしてくれています。
さらにLOFTを辞めてからもOLEDICKFOGGYのライブ・スタッフとして、サポートして頂ける方々も数多く存在します。いつも、本当にありがとうございます。
バンドの活動の重要なターニング・ポイントとして、常にLOFTが存在してきました。これからも、そうであり続けていきたいと思います。
また、あの「黒と白のタイルのステージ」に立てるために、偉大な先人の方々が立ってきた、あの歴史あるステージに立つために、来るべきライブ活動再開の時のために、刀を磨いていきます。
これからも、よろしくお願いいたします。
■音速ライン
ロフトは勝手に実家だと思ってます。
デビュー前から今まで計り知れないほど思い出を作ってもらった場所。
ギリギリ20代の自分が見え隠れして照れくさい気もしますが、ロフトは僕の青春そのもの。ステージ、楽屋、バー、スタッフさん達の顔、その全てが僕にとってはなくてはならないものです。コロナの影響で本当に危機的状況ですが、きっと乗り越えられると信じてます。
出来る事があったら何でも言ってください。
ロフトは不滅!
<藤井敬之>
自分の憧れのライブハウス。今でもそれは自分の中で変わらない。そんな中でロフトで沢山の思い出を作らせてもらって、その感謝は言葉では言い表せない。
しかし、新型コロナウィルスによって、こんな事態になるとはホントに思いもしなかった。それは、ライブハウスに出演する方、もっと言えば、そこで、ロフトや音楽に従事する方々は本当に苦しい思いをしてると感じてます。
自分は個人的な意見になってしまいますが、やはり好きな場所、なくてはならない場所としてロフトはあります。
本当にロフトの樋口さん始め、スタッフさん全員に感謝しつつ、少しでも助けになればと思いこの文章を書いてます。
どうかこんな駄文を読んでいただいて、少しでも読んでいただいてる方々に気持ちが届きますよう。
<大久保剛>
■GOTCHAROCKA
いかにライブハウスとは僕らにとって重要な場所だったか、最近特に考えます。
新宿ロフトさんにはイベントライブ、そして撮影場所としてもお世話になりました。
とあるライブの日の入りをした瞬間の事を思い出すと、ああ、こんな柄の床だったかな。ここにスピーカーがあってステージの高さがどのくらいで、
確か楽屋の行き方は…なんて追想していると心が華やぐのを感じます。
今はCOVID-19の影響で世界中厳しい状況が続いています。
生活様式も変わり、それに応じてエンタメの形式も少なからず以前とは変化していかなきゃいけないのかもしれませんが、ライブという文化だけは絶やしてはいけないと切に思っています。必ずこの危機を乗り越えて、再び新宿ロフトのステージに立てる事を楽しみにしています。
<樹威>
新宿LOFTと言えば、僕にとっては自分の憧れたミュージシャンの方達も聖地と呼ぶほどの伝統ある素晴らしい場所で、得体の知れない大きい何かが宿ってるような感覚を受けます。
初めてLIVEをさせてもらう時、少し緊張しながら会場の扉を開けたのを覚えています。
そこからLIVEでお世話になったり、撮影で使わせていただいたり、LIVEを観に行かせてもらったりと僕にとっても思い入れのある場所となりました。
これからも僕たちを含め沢山のバンドにとって熱くて素晴らしいライブハウスであってほしいです。
この苦しい状況を共に乗り越えてまたLOFTのステージに立てること、みなさんと笑顔で会えることを楽しみにしています。そしてオムライスも食べたいです!
<JUN>
アーティストとしてステージに立たせていただいてから長い事お世話になっているライブハウス。
振り返ってみると楽しかった記憶や、プレイ面等で苦い記憶もあったりと、いっぱい成長させていただいたなって思います。
今回世の中がこんな事態になってしまい、厳しい状況が続いていますが
皆で一緒にこの苦難を必ず乗り越えましょう!
そしてまたライブをさせていただき、沢山笑いながらお酒を交わしましょうね。
<十夜>
■Kaya
LOFTは皆さんに必要とされている大切な場所。
そして私もまだまだLOFTで歌いたい。
そんな場所を守りたい。ともに乗り越えましょう。
どうぞこれからも側に。
■Kra
新宿ロフトさん
Kraも随分と前からお世話になってます。
イベントからプライベートの飲みの楽しみなどたくさんお世話になってます。
このコロナ禍でロフトさんも大打撃だと思います。僕らで何かしらお手伝い出来たらと思っています。
エンタメ業全般大打撃ですけれども、収束した時に戻る場所が無いのは我々演者にとっても大打撃です。
通常ライブもアコースティックもまたロフトさんでやりたいので、みんなで力合わせてライブ業界を守りましょう。
■SAKANAMON
新宿LOFTに始めて出演出来た時、憧れのステージに立つ嬉しさと緊張でブルブル震えました。
当時の僕等の集客(友達)はいつも数人。
楽しくて悔しいライブをした後、ブッキングしてくれた樋口さんに鼓舞して貰って、最後は阿保みたいな楽しい打ち上げで夜を明かす日々でした。
数年後、ロフトのステージから地面が見えないライブをした時は嬉しかったなあ~。
かれこれ10年の付き合いになります。
本当に大切な経験を積ませてもらいました。
勿論今でもお世話になりまくってますしこれからも迷惑かけます。ごめんなさい。
恩返ししなくちゃ。
応援します。してます。
またライブが観れる日を、出来る日を心から楽しみにしています。
<gt.vo 藤森元生>
■The STRUMMERS
我々にとって新宿LOFTは憧れの聖地、そして特別な場所であり続けている。旧LOFT時代からの35年に渡るバンドヒストリーの中で訪れた幾つもの節目の時、俺達が向かうのは決まってLOFTのステージでした。
今この非常事態の中で活動を奪われたロッカー達、そしてファンやハコで働くスタッフ達、誰もがライヴ再開の日を待ち望んでいます。だから新宿LOFTに願う。やっと光が差したその時、目指す場所の象徴として、ロックの聖地として、これまで通り存在し続けて欲しいという事を。
我々も再びあのステージに立つ事を待ちわびながら最大限のYELLを送りたいと思います。
■THE STREET BEATS
1987年10月の東京初ライブ、1988年2月の東京初ワンマンライブ、そのどちらもが新宿LOFTだった。まだLOFTが西新宿の小滝橋通りにあった30年以上も前の話だ。1999年3月に西新宿のLOFTが最後を迎えた時もそのステージに立っていた。
歌舞伎町に移ってからも毎年の年明けライブ、春のツアーファイナル、夏のビーツマニア、と必ず年に3回はLOFTワンマンをやらせてもらってきた。
2020年も当然その予定だった。憎き忌々しいコロナめ。LOFTはホームグランドであり、次にまたみんなと会うための大切な約束の場所だ。無くならせてたまるかよ。
音楽とライブを愛する全ての人達、力を合わせてこの窮地を乗り越えよう。愛するLOFTにどうかご支援を!
<OKI>
■THE SLUT BANKS
個人的には西口にあったころからの長い付き合いになる新宿ロフト。気がつきゃ人生の半分以上の付き合いじゃないですか。いつの時代のいつのバンドでも必ず世話になったステージです。
スラットバンクスも2007年のロフト大晦日オールナイトで蘇生復活して以来しぶとくまだやってます。すげージジイになっちゃったけど、更なるジジイになってもまだまだ世話になりたいステージなので、ぐっと踏ん張ってほしい。お互い頑張りましょう。
<戸城憲夫>
新宿ロフト、
2020.10月にはG.D.FLICKERS35周年の祝祭がありスラットバンクスも出演します。
延期だとか中止だとかそんなんばっか続きヤダもーってな日が続きますがみんなでお祝い出来ることをたのしみにしていまーす
<TUSK>
■The THIRTEEN
雑多な街の中、キナくさい地下へと続く階段を下る。
広がる特徴的なブロックチェックの床は音楽の歴史を沢山刻んだ跡。
そこは新宿に在るべきロックの聖地。
<真緒>
ライブバンドの聖地にやっと立たせて貰えたのはThe THIRTEENが初めてでした。
色々語り継がれる聖地に自分も立てたのはバンド冥利に尽きます。
そんなたくさんの方々の大切な場所はまだまだ絶やすべきではないです。
共に乗り越えましょう。
そしてまたこのLOFTでギター弾かせて下さい。
<美月>
■左迅(ex.girugamesh)
音楽は、ライブハウスは無くなっちゃいけません。
新宿LOETのオムライスも無くなっちゃいけません。
また食わせて下さい。
■THE BLACK COMET CLUB BAND
新宿育ちで早熟?だった中学生の俺は、
小滝橋通りの途中でママチャリを停車させ、
きったねえ看板を睨み上げ、
いつか必ず出てやるぜ!って心で叫んで。
それから数年後、その夢は叶い、いくつかのバンドでステージに立ち、
友人のバンドの演奏を金も払わず楽屋から忍び込んで観戦したり。
歌舞伎町への移転後は、出演回数はぐいっと増え、
なんとなくフラリと立ち寄っても、
店長やスタッフに自然と溶け込めてる自分を誇らしく思ったり。
LOFTへ行けてないこの数ヶ月、
あの階段を降りるイメージを脳内で再生してみたら、
出迎えてくれるスタッフの顔が浮かんで。
なんだろうあの安心感。
多分、みんな、音楽業界で働きたい!ライブハウスで働いてみたい!
ってよりも、LOFTで働きたい!ってスタッフしかいないんだ、きっと。
ひとこと、LOFT愛ですわね。
あー、俺もあるなー、LOFT愛。
LOFTの為なら何でもするぜ。
何でも言ってくれ。
出来なさそうなことは言わないでね。
コロナ収まったら、フラリと立ち寄ります。
<髙野 哲>
■THE BELGA
山口県の田舎から東京へ。目指すは新宿LOFTただ一つ。学校で教えて貰えなかった遊びは全部LOFTで教えて貰った。LOFTに行けば誰かに会える。俺にとっては東京の実家のよう。
日本のロックのシーンは全てLOFTに繋がる。LOFT無くしてここまでの音楽の発展は無かっただろう。そしてLOFT無くしてこれからのライブハウスに未来はない。
<吉岡James憲弘>
■ZIGZO
「LOFTのケチャップまみれのオムライスで、ライブで失われた塩分を補給できる日まで、
みなさん頑張りましょう!」
<髙野 哲>
LOFTのあのステージに、また立てる日が
早く来る事を、心待ちにしているよ。
<RYO>
みなさま!また新宿LOFTで逢いましょうぞ!!!
<DEN>
過去を取り戻し、更に輝かせる未来はあるはず。
今は、未来の為の心の備蓄期間。
LOFTとZIGZOと皆とで再会を果たしましょうね。
<Sakura(Rayflower / gibkiy gibkiy gibkiy / THE MADCAP LAUGHS / ZIGZO)>
■ZIZ
新宿LOFT、聖地でありホームであり、とても大切な特別な場所。数えきれないほどの刺激を貰い、お世話にもなった場所。ZIZが生まれた場所。この困難を乗り越えて、また爆音で、この聖地で、みんなと再会できるその日まで!みんな、生きるぞ!!
<Közi>
その昔は百人町時代から現在の歌舞伎町に至るまで自分史的にも要所要所で大変お世話になっております新宿Loftさん。変わらぬ雰囲気と素晴らしいスタッフ陣、これからもずっと守り続けてもらいたい、私共ZIZも応援し続けます。
<Sugiya>
今も昔も憧れの新宿LOFT。最高の音、最高の笑顔、最高のご飯、最高のお酒。どれをとっても最高なのです!!そんな最高の遊び場、新宿LOFTさんをこれからもずっと応援していきます!
<Yugami>
高校生の頃から新宿LOFTのステージに絶対に立つんだ!!と夢見て愛知県岡崎市から上京してきました。
近年では何年も連続で自分の誕生日イベントを開催させて頂いたり、ZIZの初ライブやレコ発、あらゆるバンドで出演させて頂いたり、自分がバーテンをするイベントをしたり、、大切な思い出が沢山この場所には詰まっています。
これからも更にその大切な思い出をスタッフの皆様と、そして新宿LOFTにワクワクしながら足を運んで下さる皆様と増やして行きたい、かけがいの無いライブハウス!!それが新宿LOFTさんです!!!!!!これからもずっとずっと応援して行きます!!!!!!
<Chargeeeeee...>
■G.D.FLICKERS
1981年4月上京してすぐ初めてLOFTに行った。ChaosでPunkでRockな空間に圧倒されたよ。
他にはない“えげつない空気”がたまらなく、アホみたいに通った。
83年くらいから憧れのステージに立てるようになり、毎晩のように飲みにも行けば仲間も増えてかけがえのない場所になっちまった。
数えきれないRockerたちが同じ気持ちであの市松模様を宝物にしてるはず。
そしてLOFTに通う全ての強者たちが“居場所”を守るに決まってるんだ。
客席もステージもそれぞれのたまったRockを爆発できることを信じて。
Keep The Loft!クソコロナなんかに負けるわけねぇから。
<稲田 錠>
■高木フトシ
大好きな市松模様。数少ないカルチャー発信地。ピラミッドの底辺の聖地。そんなLoftでまた歌い叫べる日を待ち望んでます。共に、互いに、乗り越えて行きましょう。
■高畠正人【ライター&ライブ写真家】
どんなバンドだって市松模様のあのステージに立ったらカッコよくなる。必然的に写真を撮るときも力が入る。だからロフトで撮った写真はいつも満足。
きっとステージにこれまで積み重ねられたロックの魂が宿ってるからだろう。ブッキング、ステージ周り、PA、照明、ドリンク、Rooftop編集さん、そして店長さんの想いが詰まった新宿ロフト。
“Forever Shinjuku Loft”!また共催企画をやりたい!今はとにかく市街模様のステージが恋しい!
■宙也
愛しき地下。
20歳の時はじめてその場に立った。
そこからすべてが始まった。
いわば第二の母。
混沌なる故郷。
産んでくれて育ててくれてありがとう。
またすぐそこに行って歌います。
お元気で。
ロフト、あなたは永遠。
■T$UYO$HI(The BONEZ / PaymoneyTomyPain)
最後にLIVEをしたのは2007年1月のPTPの企画ですね。
あれ以来13年ぶりに今年はLIVEのはずでした。デビューして20年って日に。
自分がお客さんとして通ってたLIVE HOUSEなんでね。やはりもう一回立ちたいんですよ。振替公演是非やらせてくださいね。
■TEARS OF THE REBEL
今も昔も新宿ロフトはバンドマンにとって、音楽シーンにとって特別な存在。
いつまでも存在し歴史を刻み続けていかなければならない小屋。
また最高にイカしたROCKが毎晩奏でられる様、今は踏ん張りどころ。
皆さんの力と共に。
<Takatoshi Murase>
運良く18の頃憧れの市松模様...新宿ロフトに初めて出演しました。その後のバンドでは初ライブやイベント、ワンマン、ラストライブなどを演らせてもらい、数々の先輩や憧れのバンド観に行ったりと今も変わらず大切な場所。
歴史とこれからのバンドマンの未来を皆さんと共に守っていけたら最高です。
<YOSHIPONxxx>
■DaizyStripper
ROCKの聖地はどれだけの笑顔を生み出して来ただろう。
勇気や希望を与えられる場所が永遠で在りますように。
また楽しいライブと打ち上げしましょう。
<夕霧>
DaizyStripperが結成当初からお世話になってるLIVE HOUSEの1つである新宿LOFT
またあのステージで魂の解放し、もう出逢えないこの「1秒」に今を刻む時が来る日を楽しみにしています。
<なお>
数々の名演が溢れたこの市松模様の音楽の溜まり場に、これからも音楽が溢れている所を観たいです!
共に頑張って今を乗り越えましょう!!
<まゆ>
DaizyStripperとしてステージに立たせて頂いたことがあり、思い出が詰まった新宿LOFT!事態が収束し、また笑顔満ち溢れ活気的なステージとなる日を楽しみにしています!
<Rei>
新宿LOFT、スタッフ一丸となってその日のギグに全力で取り組んでくれるところがとても好き。だから数々の伝説が生まれ、ロックの歴史そのものが詰まった聖地になったんだと思います。
そんな素晴らしいこの場所をみんなで守りましょう。また市松柄の床の上でみんなで暴れられる日を、心待ちにしてます。Rock it!
<Kazami>
■DEZERT
新宿loft
色んな音との出会いの場。
色んな人との出会いの場。
僕にとって特別なライブハウスの一つです。
愛に包まれたあの空間、絶対に日本のロックシーンにおいて必要不可欠なみんなの場所です。
今、苦しくない人はいないと思います。
僕も何をしたらいいのか、何を音楽人としてやるべきか日々模索しています。
もしこのコメント、そしてloft foreverという新宿ロフトが発案した企画を読んで、少しでも何か共鳴したことがありましたらいつかまた新宿ロフトで共鳴できる事を祈って、お力になってもらえたらと思います。もちろん僕もできることはさせて頂きたく思っております。
一緒に願晴りたいです。
1日でも早く新宿loftで共鳴できますように。
<SORA>
■DuelJewel
ミュージシャンを夢見てメンバー探しに明け暮れていた16歳の頃、当時のLOFTで先輩のライブを見させてもらい、心底羨ましかった事を思い出します。
先輩と言えど、まだまだ演奏も歌もアマチュアのレベルだったように思うけれど、一生懸命に真っ直ぐにステージで演奏する姿がとても素敵でした。
何よりもそんな素晴らしい経験を共有出来る仲間を見つけられた事が、すでに奇跡なのだと思います。今多くの困難と向き合うライブ会場や音楽を愛する全ての方の想いが、必ず報われる日が来ると思います。それまで助け合いながら乗り越え行きましょう!!
<隼人>
大変な事態になってしまい思う事は沢山あるけれど、音楽やライブハウスが悪い訳じゃない事はきっと音楽を愛している人ならわかっているはず。
大ダメージを受けている音楽業界の中で、この先どうなるかは誰にも想像がつかないけれど
「伝説」と称される新宿LOFTさんにはこの先も伝説を生み出し続けてほしいですし、いつかまたライブが当たり前に出来るような時期が来たら、このライブハウスで演奏をする事を夢見ているアーティストに、あの特製オムライスの感動を与え続けられる素敵なライブハウスであり続けてほしいと思います!
<Shun>
まずは謝らせてください。オムライスのケチャップのかかった部分を優先的に食べていたのは僕です。
楽屋もステージもLOFT独特のTheライブハウス200%のあの雰囲気の中にいつも陶酔していました。当然ライブ後の揚げ物も五臓六腑に染み渡り、カロリーも気にせずビールで流し込む覚悟もいつも容易に決まっていたものです。
いつも通り、入りするだけでワクワクするライブハウスであり続けてください。Forever!!
<祐弥>
普段はご一緒できない先輩方とご一緒でき、勉強ができる貴重なライブハウスだと思ってます。
そういうライブを実現できるライブハウスでまた早くライブが出来る事を楽しみにしてます!
<Natsuki>
数々のアーティストを育ててきた日本を代表するライブハウスの一つであるLOFTさん。
DuelJewelとしても何度もステージに立たせていただきました。
バンドもライブハウスも今非常に大変な時期ですが、なんとか今を乗り越えて
再びLOFTで演奏できる日を楽しみにしてます!!
<ばる>
■D’ERLANGER
僕らの当たり前のLIFE STYLEになっている「LIVE」
生きて行く上でなくてはならない「LIVE」
一緒に育っていると言っても過言ではない「LIVE HOUSE」
新宿ロフトは、D’ERLANGERが毎年必ず行う特別なLIVEもあったり、
年に一度ドラマーが集まる一番大きいドラム会も行っている。
特別なハコである。
先人からの途轍もない歴史も残り、今もなお歴史が刻まれている、
新宿ロフト、これからも共に歩みたい!
必ず乗り越えてまた大暴れしましょう。
<Tetsu>
■東京カランコロン
新宿LOFTでのライブは思い出深いものがたくさんありますが、一番覚えているのはピロウズ先輩に誘ってもらったイベント。
その日はピロウズ初代サポートベーシストの鹿島さんが特別に参加して、ピロウズの最初期の頃の曲も披露されるという一種パーティ的なノリのある日で。
おれはそんな事とは知らず(当然出番はカランコロンが先)、おれ自身その時バンドをやるのがかなりしんどくなっていて、まさかの過去にピロウズvoさわおさんに励ましてもらった話をライブのMC中にしてたら、思わず泣き出してしまう、という超絶恥ずかしい思い出があります。
まぁ、おれの話は取るに足らないとして(笑)、もっとたくさんの奇跡が起きたであろう新宿LOFTには絶対に無くなってほしくありません。
みんなの力を音楽と、ライブハウスが起こす奇跡を残していきましょう。
<gt.vo いちろー>
■NAOKI(FANTASISTA)
新宿ロフトは色んな感情と経験と学び、自分を成長させてくれた大切で特別な場所。
たくさんのアーティストの音色に刺激を受け、オーディエンスの最高の笑顔を見て、全ての魂が共鳴し合い感動が生まれる。
音楽の『絆』は人にとってなくてはならない存在!
今はとっても苦しい状況でも、夢、希望、愛を胸に、あの市松模様のステージに立てる日まで、
皆でロックの聖地!新宿ロフトを応援し守って行きましょう!
そして共に顔を上げ、笑顔で再会しましょう
■長尾健太郎(RAD CREATION)
僕が新宿LOFTに初めて行ったのは2016年。
当時担当していたバンドのライブで伺ったのですが、樋口さんが僕の大好きなバンドを担当していたということを聞いてバンドそっちのけで酒を飲んで意気投合したことを覚えています。
その後はTOKYO CALLINGで会場担当や共同企画をやらせていただいたり
新宿LOFTの歴史の一つに自分もなれたようで嬉しかった。
僕が生まれた年より長く続くライブハウス。これからもずっとずっとその背中を見せて欲しい。
■中島卓偉
1995年から1997年くらいだったでしょうか、10代だった僕はPUNKバンドをやってまして、新宿LOFTの昼の部にせめて出たくて、デモテープを送り、または直接お渡しに行ったりしました。
が、何回断られただろうな、「PUNKなのに歌が上手過ぎる」「全曲ポップなんだけどジャンルが幅広すぎてわかりづらい」そんなことを言われました。
1999年にデビューして4~5年経った頃でしょうか、新宿LOFTのイベントに呼んでもらえました。素直に嬉しかったです。スタッフに嫌な人が一人もいませんでした。僕にああいうことを言った人は誰だったんでしょうか。こういうことを今書くってのはお約束でしょう(笑)
僕はソロでありながらバンドっぽい音を鳴らし、ジャンルに囚われない幅広い曲を書き、歌ってパフォーマンスするスタイルを21年貫いて来ました。
PUNKなのに歌が上手過ぎる、全曲ポップなんだけどジャンルが幅広すぎてわかりづらい、そういう感じが中島卓偉のスタイルです。本当に良く言ってくれたと思っています。だからこそ貫いてこれました。
新宿LOFTこそジャンルが幅広過ぎるバンドが出まくり、ロックを貫いてこられた最高のライヴハウス。今後もめちゃくちゃにやっていってもらいたいです。こんなことに絶対に負けてほしくない。日本一のライヴハウスだと僕は信じています。
何か出来ることがあればいつでも言ってください。
今後ともよろしくお願いします。
■ネクライトーキー
ロフトって結構広くて、最大で五百から六百人くらい入るんですよね。なのでブッキングイベントとか、割と頑張って人呼んでも全然ガラガラだったりするんです。大変だ。
それでも樋口さんって愛を持ってバンドに接してくれるから、「このハコに恩義を返したい」って僕個人はそう強く思えるんです。
ただ打ち上げはスパルタ。樋口さんが本格的に酔い始めるともうダメです。終わらない。朝の七時まで続いて「でもね、緑茶ハイは残らないから大丈夫なの」って言いながら飲み続けていたのにその後Twitterに思いっきり「二日酔いで頭痛い」って書いてました。
そういえば俺はまだパンパンに埋まったロフトでライブしてないです。あんなに広いロフトが自分たちを見に来てくれた人で埋まる瞬間を見てみたい。その日はまた朝まで打ち上げしましょう。
<朝日(Gt)>
■BALZAC
バンドがスタートしたときから、とにかく新宿LOFTに出演するのが僕らの目標でした。まだ西新宿小滝橋通りにあった頃に初出演させていただいて以来、もう四半世紀近くになります。
これまでいろいろな経験をさせてもらったし、今もライブのときは、スタッフの方々の温かさにホームに帰ってきた安心感があると同時に、絶対的な緊張感もあるのが新宿LOFT。これからも僕にとってずっと特別な場所なんだろなって思います。
打ち上げで出てくる名物のオムライスにケチャップでバンド名を書いてもらえるのも嬉しいしね。今はみんなが苦難のときだけど、乗り越えてまた新宿LOFTでライブできる日を楽しみにしています。
<HIROSUKE>
■HERE
新宿LOFT。僕はインビシブルマンズデスベッド時代からお世話になっています。当時の暴動的なライブも全て受け入れてくれた懐の深いライブハウス。
ここで沢山の仲間と出会い、伝説的ライブを何度も目撃し、20代を過ごした。間違いなく僕のロックは新宿LOFTで創造された。本当に感謝しかない。
またあのステージでハイテンションを爆発させる為に今こそバンドマンの底力の見せどころだ。近い未来に新宿LOFT、そして日本のライブハウスの大復活を信じて!
<尾形回帰>
■緋村剛(ストレイドッグカンパニー、everset)
これまで何度も出演させて頂いたり、たくさんのバンドを見させてもらった大切な聖地。現メンバーのプレイを最初に見たのもこのハコだ。
ステージからの景色やステージ裏の階段や楽屋の風景を今でも思い出す。あの、全体が見えそうで見えない柱のおかげで俺たちは“音”を追求して勝負して、そして育ててもらったんじゃないか?
日本から聖地がなくなるのはどうしようもなくナンセンスだ。
これからも俺たちミュージシャンが集まれる場所、帰れる場所であり続けてほしいです。
■HOTVOX
今も昔も変わらずバンドの憧れのライブハウスであり続ける老舗、新宿LOFT。
ご多分に漏れず我々HOTVOXにとってもそうであり、たくさんの出会い、きっかけを作ってくれたライブハウスです。
このライブハウスに出れる!って言うので1番嬉しかったのは、もしかしたらLOFTかもしれません。
これからも、これから出てくる若手バンドの登竜門としてあり続けて欲しいし、
そしてまだまだ我々もお世話になりましたは言えません。
なり足りていないので(笑)
ここまで来たなら1世紀は続けて欲しいです、全力で応援しております。
歌舞伎町ど真ん中のロックは鳴り止ませません。
■マカロニえんぴつ
白黒タイル、白黒つけずロックバンドが何度もロックバンドになれる場所、祝福のオムライス、照れ笑いと始発、新宿ロフト。
またロックバンドしに行きます。
なきゃ困るんです、帰る場所なので。
<Vo&Gt.はっとり>
■増田勇一【ライター】
新宿西口にあったロックの聖地が歌舞伎町に移転してから、昨年で20年が経過。そんな節目を超えた翌年に、世界がまさかこんな事態に陥ることになろうとは。
旧LOFTに初めて足を運んだのは1982年末あたり、関西メタルが東京に“殴りこみ”をかけてきた当時のことだと記憶している。
ライヴハウスの匂い、入場時にドリンク代がかかるシステム、終演後の打ち上げが終わっても続くBARタイム。建物の外からは想像もつかない地下世界の常識と楽しさを教えてくれたのは、間違いなくLOFTだったように思う。
その場所が、失われるようなことがあってはならない。歴史が染み付いた場所だからではなく、これからも新たな歴史が作られていく場所であるはずだからこそ。
■myeahns
新宿LOFT出演すると、楽屋からステージに向かう通路にはホコリをかぶった数えきれないセットリストが貼ってある。まさに歴史を感じた瞬間でした。これからもライブハウスの歴史を作ってください。
ぼくも歌うことをやめません。
<逸見亮太>
■meiyo
何が何だか分からないまま、いつの間にか、徐々に、全く違う世界になってしまいましたが。すぐに元のようには戻らなくても、思い出で終わらないことを祈るばかりです。
LOFTが無くなったら、自分の目標の二つが永久に叶わなくなってしまいます。ワンマンでソールドアウトすること。あと、とびきりビッグになって倍率何百倍の凱旋ライブすること!だからどうか、存続して欲しいです。
落ち着いたらまた必ずLOFTに出たいです。そしてまた皆さんに会えますように、と願って!
■MOROHA
新宿LOFT、スコールアンドレスポンス。
<アフロ>
受付期間は【6/14(日)23:59】まで。