プロジェクトやアーティストの最新情報を配信しています。
ニュースレターの購読を希望される方は会員登録(無料)をお願いします。
WIZYサービス利用規約および個人情報の取り扱いに同意の上お進みください。
同意して新規登録 同意してログインライブハウス“新宿ロフト”を応援するための、マスクやドリンク交換缶バッジ、ステッカーを販売!
レポート
応援メッセージ 206
本プロジェクトに寄せられたコメントをご紹介!
第4弾はこちらの方たちからのコメントをご覧ください。
■BACK DROP BOMB
数多くのLIVEをやらせてもらったLOFTのステージにまた上がれるように、BDBとして心から応援させていただきます。
■BUDDY TANDEN
「今年!2020年11月29日!あのステージで初のワンマンLIVEやるんだ!絶対成功させるんだ!ステージから降りてバーフロアで皆んなと乾杯しまくるんだ!
デカいオムライスに“BUDDY TANDEN ONEMAN”って描いてもらって食べるんだ!ロフトに夢があるんだよ!オレの夢が!!!!頼むぜロフト!!!!オレも頑張る!!!!」
<遠井地下道>
■バンドごっこ
新宿LOFTさん!いつもいつもお世話になっております!
バンドごっこです!
新宿LOFTさんは僕らがまだ遠征をそこまで頻繁にしていない時からお世話になっているライブハウスで、プレイガイドの履歴から見ると僕たちバンドごっこが一番多く出ているライブハウスが新宿LOFTさんでした(笑)
※僕たちは大阪のバンドです。
全国規模で考えても、これまでの12年間の活動で定期的に出させてもらっているライブハウスは新宿LOFTさんだけかも知れません…
※僕たちは大阪のバンドです。
今はとてもとても厳しい時期だと思いますが、僕たちはあの場所が無くなる訳が無いと思っています。
どうか…オムライスのレシピは守ってください…
またフラっと寄りますね!
※僕たちは大阪のバンドです。
■ヒグチアイ
故郷は一つじゃない。
わたしの地元長野は山に囲まれていて、県としては広くても、行ける範囲が狭かった。テレビで見る東京の景色に憧れた。上京して西武新宿線沿いに住んでいたわたしにとって新宿は、初めての東京だった。
その後いろいろなライブハウスに出演していろいろな場所へ遠征をして、光を知った後に深い闇を知った。もう音楽をやめてしまおうか、と思っていたときに新宿LOFT樋口さんに出会った。いつもあの曲がいいねいい歌だねと口にしてくれた。
わたしは今でも東京に住めているのは、あの日の樋口さんのおかげだと言っても過言じゃない。大事な人がいて、また帰りたくなったら、その場所は故郷である。新宿LOFTはわたしの故郷である。
■Hermann H.& The Pacemakers
皆様、お元気ですか。Hermann H.& The Pacemakersの岡本です。
20年ぐらい前、LOFTという名門の敷居をまたがせて頂き、「バンドマンのプライドとは」というようなことを教わった気がします。ロックンロール、という言葉が日本一似合う場所です。
またLOFTに、ロックンロールと、愛と、名物のオムライスが溢れる日を楽しみにしてます!LOFTよ、永遠なれ。
<岡本洋平>
■HOLLOWGRAM
歌舞伎町に移る前からお世話になっているLoft。
憧れの場所であり、ホームでもある場所。
人が集まって、好きを持ち寄って、思い出に花が咲く
そういったものはみんなの中にもたくさんあると思うけど
Loftは自分にとってまさにそういう場所の一つ。
今は良しとされていない現状だけれど、公演ができなくなって
『バンドっていいな、ライブってどうやったらやれるんだろう、うまくできるかな
チケット買ってくれるかな、来た人は喜んでくれるかな』
そういうバンドを始める前の気持ちをすごく思い出します。
またLoftに帰りたいです。
<ryo>
■マシータ(God bless you, ex.BEAT CRUSADERS, ex.NATSUMEN)
開演直前、ステージ袖のピリッとした緊急感、特にロフトのあの場所が凄く心地良くて、その空気感に包まれたままステージに向かうのが本当にすがすがしくて。
ライブで全てを出し切ったあと、打ち上げで待ってるロフト特製オムライスの旨さは格別。会場で朝まで打ち上がって、泥酔しながらよく始発まで歌舞伎町でくだ巻きました(笑)。
思えばいろんな現場でお世話になった人たちは、話してみるとロフト出身の方が多くて。僕はいつもこのハコにいい出会いとご縁をもらってきました。
ちなみに近い将来、僕の息子が例えば「音楽に携わる仕事につきたい」と言ってきたら「じゃあまずロフトさんでバイトしてこい!」と言ってやろうと思ってます(笑)。
そのくらい僕の音楽人生にとって、いろんな素晴らしい事を、お客さん、会場、スタッフ、ミュージシャンで一体となって体験出来たのが、ライブハウス「ロフト」で過ごした日々でした。これからもお世話になりますよ!
■増子真二(DMBQ/BOREDOMS)
僕が音楽を始めた頃、LOFTの存在は憧れそのものでした。先鋭的なアンダーグラウンド・シーンが息づく地下音楽世界の絶対的牙城、それが僕にとってのLOFTという場所でした。そしてそれは、今も変わることはありません。
市松模様のステージ・フロアは、全身全霊で音を鳴らす者だけに立つことが許される聖域です。自分のためにも、そして、次にこの場に立つ誰かのためにも、この聖域を守り抜いてゆきたいです。
■みるきーうぇい
いつもお世話になっている新宿ロフト。市松模様の床や真っ青な壁が渋くて、憧れのライブハウスを絵に描いたような場所です。
何より素敵なスタッフさんたちがいつも、私たちバンドマンにとって大切な居場所を作ってくれていました。特に樋口さんとは音楽の話は勿論、全く関係ない話も沢山聞いてもらって、私のメンタルの支えになっていました。笑
新宿ロフトでまたライブが出来る日まで、私たちバンドマンに出来ることは沢山していきたいと思っています。配信、楽しみにしております!
<伊集院香織>
■モーモールルギャバン
新宿LOFT、ここ10年くらいその伝統あるステージに我らモーモールルギャバンも年に1~2回ほど立たせていただいてきました。
ケラリーノサンドロヴィッチさんからイベントに誘っていただいた時や、大槻ケンヂさんがリハを覗きに来てくださった時はダイレクトに歴史の深さを実感しました。
そして数々の猛者との共演、マキタスポーツさんやDJ後藤まり子さんや侵攻方向別通行区分やニガミ17歳や忘れらんねえよやゲスの極み乙女や、色んな音楽を全身に浴びて浴びせて狂熱の夜の打ち上げには最高のオムライス。
そんな我々にとって当たり前の日常を今はとても恋しく思います。
早くまたあのステージに立てますように!
<ゲイリー・ビッチェ>
■ヤマザキタケシ【ドラマー】
自宅以外に『ただいま』と言える場所はありますか?
僕がロフトに初めて出演させていただいたのは
以前に所属していたバンド「メレンゲ」の初ライブで、確か2002年だったと思う。
その後もライブ出演は数え切れない程させていただいたのだけども
それだけに留まらず
インディ版をロフトレーベルからリリースさせてもらったり、
ロフト所有の機材車に乗って全国ツアーしたりと。。
思い出は書き出したらキリがないし
感謝を書き出したらもっとキリがない。。。
ロフトという場所、そこで働く人々、
そしてそこに集まる人々
その全てが僕にとって帰れる場所です。
この苦境の先の
『ただいま』って帰れる日を
心から楽しみにしてます。
■やまだともこ【ライター】
初めて開演前のロフトに足を踏み入れた時に感じた独特の雰囲気。これから、ロフトグループで働くんだというワクワクした気持ちは今でも忘れられません。私の二十代と三十代を過ごしたライブハウス。いろいろなライブを見て大いに刺激を受けたり、ここで出会ったたくさんの人の顔が思い出される大切な場所。
ロフトグループを退職して5年が過ぎ、静岡に引っ越したためなかなかロフトに行くことはできませんが、樋口さんに声をかけてもらい今年の春にひさしぶりにライブに行く予定でした。
長い戦いになるかもしれませんが、またライブに行けることが日常になったらロフトに行きたいし、やっぱりライブを生で見たいし、爆音で音楽を聴きたいし、ロッキンコミニュケーションがしたい!
そのような日を1日でも早く迎えられるよう、今私ができることをしていきます。大事な場所をなくさないために。
■ヨイズ
僕が初めて新宿LOFTに出演させて頂いたのが確か高校生の頃でした。制服で歌舞伎町に行ったのを今でも覚えています。
そこで初めて樋口さんに出会いました。前進バンド(赤色のグリッター)では共同企画やフェスを開催したりと、お世話になった思い出はキリがありません。
前進バンドの解散後、しばらく音楽から離れようとしていた時に最初に手を差し伸べてくれたのも樋口さんでした。
今のヨイズで僕が歌を歌えるのは新宿LOFTと樋口さんのお陰と言っても過言ではありません。またあの市松模様の床の上で歌を歌いたい。そう願うばかりです。
そして何より、一日も早い新型コロナウイルス感染症の終息と、新宿LOFTに関わる全ての方々のご健康を心からお祈り申し上げます。
<佐藤リョウスケ>
■米澤森人
ロフトの空気やステージ、そしてまだ分からないことも多い僕にも暖かく接してくださるスタッフの皆さんが本当に好きです。初めて出演してからまだ1年経っていませんが、僕の中で本当に大切な居場所になっています。
昨夏、TEEN'S MUSIC CAMPではじめてのロフトのステージに立ったときの景色、秋の感謝祭の企画で自主制作CDが初めてお店に並んだときのこと、初めてお客さんに手渡せたときの嬉しさ、絶対に一生忘れないと思います。
そしてこれからももっと沢山の思い出をロフトで作っていきたいです。もっと沢山の人に音楽を届けたいです。
ロフトでまた歌える日を楽しみにしています。
ロフト、頑張って!!!
■ラッパ我リヤ
いったい幾つのバンド、幾つのグループ、幾つのシンガー、幾つの理屈が、幾つのガチな瞬間が、あのステージで起こって来たのだろうか?
『新宿ロフト』
音楽屋を志した奴なら、いや、必ず聞いた事はあるはずだ。
その老舗中の老舗の周年記念パーティーでライブをかました。そして、また、ぶちかます。ロフトは独特な空気だ。
ラッパ我リヤでギッタンギッタンに盛り上がり倒し、最高な瞬間、最高にガチな瞬間が、あの、ステージには、有った。
破壊王!! 今年の俺たちはヤバイぞー!!
2MC+1DJ !!
昨今の流れが落ち着いたら、皆さんロフトで遊びましょう!!!
まずはグッズを手に入れるのだ!
<Mr.Q>
■LEARNERS
LEARNERSが最初にLOFTのステージに立った日の事を憶えている。このステージにこのバンドで立てた喜びを噛み締めながら思い切りライブをした。それ以降、激しい打ち上げも経験しLOFTらしさを存分に味あわせてもらってきています。
「伝説の」と言われながら、いつの時もフラットにバンドを迎え入れてくれる懐深いライブハウスであるLOFTをメンバー一同、愛して止みません。微力ながら応援しております。
■RUDE BONES
コロナで大変な時、ロフトも例外ではなく、支援グッズが発売されるとの事です。
ルードボーンズにとって、ロフトは最もお世話になっているライブハウスです。ライブはもちろんですが、ワンファン(偶数月の第一土曜)という無料のスカイベントを二十年やらして頂いてます。そんなイベントまず無いです、ワンファンくらいでしょう。
ロフトには感謝しかありません。当時店長の東田さんに許可をもらったはず、その後、大塚さん、現在の柳沢さんに至っても、みんなが変わらずワンファンを大事にしてくれています。
ロフトは自分にとって大事なホームです。また、この騒動が落ち着いてライブやイベントを復活した時のために、この辛い時期を皆さんの協力で乗り切れたらと切に願います。ロフトを救いましょう!何卒、よろしくお願いします。
<OKAWA>
■WRENCH
憧れだった市松文様のステージに立つことが出来るようになってもう25.6年。小滝橋通りから歌舞伎町に移転した今現在もLOFTは日本のライブハウスの至宝です。
数多の伝説がここで生まれ、これからもその歴史を更新していく聖地です。無くしてはならないし断固応援しています!
■路地裏の僕たち
元気ですか~!元気があれば何でもできる!行けばわかるさ~ありがとう~
樋口さんにお世話になってる、山梨県富士吉田市出身のアラフォーのおっさんでございます。新宿ロフトはバンドマン憧れのライブハウスであり、ここで、フジファブリック志村正彦も歩みだし、育てられ、彼の音楽人生の中でなくてはならない大切な場所だと思います。正彦がつないでくれた不思議なご縁で、同級生の僕たちが失礼ながら樋口さんと仲良くさせていただいております。本当に感謝しかありません。
このような大変な状況で、厳しい現実だと思いますが、明るく前を向いて共に乗り越えていきましょう。ロフトと樋口さんに、富士山の麓から元気玉を送ります。
追伸:ロフトがライブ再開できるようになったら必ず行きます。そして、富士吉田でもスナックでのカラオケをしましょうね。
新宿ロフトは永久に不滅です。
<隊長 渡辺雅人>
■ロリータ18号
こんな事になった。
いままで当たり前にしていた好きな事が出来なくなった・・・
だからこそ「当たり前」が愛おしい。
ライブをやること。
ライブに行く事。
当たり前だと思っていたけど、実はとっても尊いことだった。
恥ずかしいけど、それが改めてよく分かった。
悔しいけど、この糞コロナが唯一教えてくれた事。
だからアタシは思う。
とにかくなんとか元気に生き延びて、損して得取れ、と。
これを教訓にして、絶対に生きて、また新宿ロフトで楽しいライブをやる為に今の生活は自分だけでも最善を尽くす。
それがきっと人の為にもなる。
アタシは生きる。
皆さん、また新宿ロフトで会いましょう!
しかもバリバリ元気で。
追伸:ロフトスタッフの皆さま、いつもありがとうございます!
何かロリータ18号がやれる事ありましたらいつでもHPにメール下さい。
そしてまたライブお願いします!
またお世話して下さい!
ロフトのグッズ買うね。
(その昔ロリータ18号はオーディションのテープ審査に2回落ちたけど・・・笑)
<石坂マサヨ>
■渡辺隆之
LOFT、大好きなLOFT。
次に子供が生まれたら名前は達郎LOFT。
消えないLOFTの灯火。
次会う時はLOFTの灯火で聖火リレー。
受付期間は【6/14(日)23:59】まで。
本プロジェクトに寄せられたコメントをご紹介!
第4弾はこちらの方たちからのコメントをご覧ください。
■BACK DROP BOMB
数多くのLIVEをやらせてもらったLOFTのステージにまた上がれるように、BDBとして心から応援させていただきます。
■BUDDY TANDEN
「今年!2020年11月29日!あのステージで初のワンマンLIVEやるんだ!絶対成功させるんだ!ステージから降りてバーフロアで皆んなと乾杯しまくるんだ!
デカいオムライスに“BUDDY TANDEN ONEMAN”って描いてもらって食べるんだ!ロフトに夢があるんだよ!オレの夢が!!!!頼むぜロフト!!!!オレも頑張る!!!!」
<遠井地下道>
■バンドごっこ
新宿LOFTさん!いつもいつもお世話になっております!
バンドごっこです!
新宿LOFTさんは僕らがまだ遠征をそこまで頻繁にしていない時からお世話になっているライブハウスで、プレイガイドの履歴から見ると僕たちバンドごっこが一番多く出ているライブハウスが新宿LOFTさんでした(笑)
※僕たちは大阪のバンドです。
全国規模で考えても、これまでの12年間の活動で定期的に出させてもらっているライブハウスは新宿LOFTさんだけかも知れません…
※僕たちは大阪のバンドです。
今はとてもとても厳しい時期だと思いますが、僕たちはあの場所が無くなる訳が無いと思っています。
どうか…オムライスのレシピは守ってください…
またフラっと寄りますね!
※僕たちは大阪のバンドです。
■ヒグチアイ
故郷は一つじゃない。
わたしの地元長野は山に囲まれていて、県としては広くても、行ける範囲が狭かった。テレビで見る東京の景色に憧れた。上京して西武新宿線沿いに住んでいたわたしにとって新宿は、初めての東京だった。
その後いろいろなライブハウスに出演していろいろな場所へ遠征をして、光を知った後に深い闇を知った。もう音楽をやめてしまおうか、と思っていたときに新宿LOFT樋口さんに出会った。いつもあの曲がいいねいい歌だねと口にしてくれた。
わたしは今でも東京に住めているのは、あの日の樋口さんのおかげだと言っても過言じゃない。大事な人がいて、また帰りたくなったら、その場所は故郷である。新宿LOFTはわたしの故郷である。
■Hermann H.& The Pacemakers
皆様、お元気ですか。Hermann H.& The Pacemakersの岡本です。
20年ぐらい前、LOFTという名門の敷居をまたがせて頂き、「バンドマンのプライドとは」というようなことを教わった気がします。ロックンロール、という言葉が日本一似合う場所です。
またLOFTに、ロックンロールと、愛と、名物のオムライスが溢れる日を楽しみにしてます!LOFTよ、永遠なれ。
<岡本洋平>
■HOLLOWGRAM
歌舞伎町に移る前からお世話になっているLoft。
憧れの場所であり、ホームでもある場所。
人が集まって、好きを持ち寄って、思い出に花が咲く
そういったものはみんなの中にもたくさんあると思うけど
Loftは自分にとってまさにそういう場所の一つ。
今は良しとされていない現状だけれど、公演ができなくなって
『バンドっていいな、ライブってどうやったらやれるんだろう、うまくできるかな
チケット買ってくれるかな、来た人は喜んでくれるかな』
そういうバンドを始める前の気持ちをすごく思い出します。
またLoftに帰りたいです。
<ryo>
■マシータ(God bless you, ex.BEAT CRUSADERS, ex.NATSUMEN)
開演直前、ステージ袖のピリッとした緊急感、特にロフトのあの場所が凄く心地良くて、その空気感に包まれたままステージに向かうのが本当にすがすがしくて。
ライブで全てを出し切ったあと、打ち上げで待ってるロフト特製オムライスの旨さは格別。会場で朝まで打ち上がって、泥酔しながらよく始発まで歌舞伎町でくだ巻きました(笑)。
思えばいろんな現場でお世話になった人たちは、話してみるとロフト出身の方が多くて。僕はいつもこのハコにいい出会いとご縁をもらってきました。
ちなみに近い将来、僕の息子が例えば「音楽に携わる仕事につきたい」と言ってきたら「じゃあまずロフトさんでバイトしてこい!」と言ってやろうと思ってます(笑)。
そのくらい僕の音楽人生にとって、いろんな素晴らしい事を、お客さん、会場、スタッフ、ミュージシャンで一体となって体験出来たのが、ライブハウス「ロフト」で過ごした日々でした。これからもお世話になりますよ!
■増子真二(DMBQ/BOREDOMS)
僕が音楽を始めた頃、LOFTの存在は憧れそのものでした。先鋭的なアンダーグラウンド・シーンが息づく地下音楽世界の絶対的牙城、それが僕にとってのLOFTという場所でした。そしてそれは、今も変わることはありません。
市松模様のステージ・フロアは、全身全霊で音を鳴らす者だけに立つことが許される聖域です。自分のためにも、そして、次にこの場に立つ誰かのためにも、この聖域を守り抜いてゆきたいです。
■みるきーうぇい
いつもお世話になっている新宿ロフト。市松模様の床や真っ青な壁が渋くて、憧れのライブハウスを絵に描いたような場所です。
何より素敵なスタッフさんたちがいつも、私たちバンドマンにとって大切な居場所を作ってくれていました。特に樋口さんとは音楽の話は勿論、全く関係ない話も沢山聞いてもらって、私のメンタルの支えになっていました。笑
新宿ロフトでまたライブが出来る日まで、私たちバンドマンに出来ることは沢山していきたいと思っています。配信、楽しみにしております!
<伊集院香織>
■モーモールルギャバン
新宿LOFT、ここ10年くらいその伝統あるステージに我らモーモールルギャバンも年に1~2回ほど立たせていただいてきました。
ケラリーノサンドロヴィッチさんからイベントに誘っていただいた時や、大槻ケンヂさんがリハを覗きに来てくださった時はダイレクトに歴史の深さを実感しました。
そして数々の猛者との共演、マキタスポーツさんやDJ後藤まり子さんや侵攻方向別通行区分やニガミ17歳や忘れらんねえよやゲスの極み乙女や、色んな音楽を全身に浴びて浴びせて狂熱の夜の打ち上げには最高のオムライス。
そんな我々にとって当たり前の日常を今はとても恋しく思います。
早くまたあのステージに立てますように!
<ゲイリー・ビッチェ>
■ヤマザキタケシ【ドラマー】
自宅以外に『ただいま』と言える場所はありますか?
僕がロフトに初めて出演させていただいたのは
以前に所属していたバンド「メレンゲ」の初ライブで、確か2002年だったと思う。
その後もライブ出演は数え切れない程させていただいたのだけども
それだけに留まらず
インディ版をロフトレーベルからリリースさせてもらったり、
ロフト所有の機材車に乗って全国ツアーしたりと。。
思い出は書き出したらキリがないし
感謝を書き出したらもっとキリがない。。。
ロフトという場所、そこで働く人々、
そしてそこに集まる人々
その全てが僕にとって帰れる場所です。
この苦境の先の
『ただいま』って帰れる日を
心から楽しみにしてます。
■やまだともこ【ライター】
初めて開演前のロフトに足を踏み入れた時に感じた独特の雰囲気。これから、ロフトグループで働くんだというワクワクした気持ちは今でも忘れられません。私の二十代と三十代を過ごしたライブハウス。いろいろなライブを見て大いに刺激を受けたり、ここで出会ったたくさんの人の顔が思い出される大切な場所。
ロフトグループを退職して5年が過ぎ、静岡に引っ越したためなかなかロフトに行くことはできませんが、樋口さんに声をかけてもらい今年の春にひさしぶりにライブに行く予定でした。
長い戦いになるかもしれませんが、またライブに行けることが日常になったらロフトに行きたいし、やっぱりライブを生で見たいし、爆音で音楽を聴きたいし、ロッキンコミニュケーションがしたい!
そのような日を1日でも早く迎えられるよう、今私ができることをしていきます。大事な場所をなくさないために。
■ヨイズ
僕が初めて新宿LOFTに出演させて頂いたのが確か高校生の頃でした。制服で歌舞伎町に行ったのを今でも覚えています。
そこで初めて樋口さんに出会いました。前進バンド(赤色のグリッター)では共同企画やフェスを開催したりと、お世話になった思い出はキリがありません。
前進バンドの解散後、しばらく音楽から離れようとしていた時に最初に手を差し伸べてくれたのも樋口さんでした。
今のヨイズで僕が歌を歌えるのは新宿LOFTと樋口さんのお陰と言っても過言ではありません。またあの市松模様の床の上で歌を歌いたい。そう願うばかりです。
そして何より、一日も早い新型コロナウイルス感染症の終息と、新宿LOFTに関わる全ての方々のご健康を心からお祈り申し上げます。
<佐藤リョウスケ>
■米澤森人
ロフトの空気やステージ、そしてまだ分からないことも多い僕にも暖かく接してくださるスタッフの皆さんが本当に好きです。初めて出演してからまだ1年経っていませんが、僕の中で本当に大切な居場所になっています。
昨夏、TEEN'S MUSIC CAMPではじめてのロフトのステージに立ったときの景色、秋の感謝祭の企画で自主制作CDが初めてお店に並んだときのこと、初めてお客さんに手渡せたときの嬉しさ、絶対に一生忘れないと思います。
そしてこれからももっと沢山の思い出をロフトで作っていきたいです。もっと沢山の人に音楽を届けたいです。
ロフトでまた歌える日を楽しみにしています。
ロフト、頑張って!!!
■ラッパ我リヤ
いったい幾つのバンド、幾つのグループ、幾つのシンガー、幾つの理屈が、幾つのガチな瞬間が、あのステージで起こって来たのだろうか?
『新宿ロフト』
音楽屋を志した奴なら、いや、必ず聞いた事はあるはずだ。
その老舗中の老舗の周年記念パーティーでライブをかました。そして、また、ぶちかます。ロフトは独特な空気だ。
ラッパ我リヤでギッタンギッタンに盛り上がり倒し、最高な瞬間、最高にガチな瞬間が、あの、ステージには、有った。
破壊王!! 今年の俺たちはヤバイぞー!!
2MC+1DJ !!
昨今の流れが落ち着いたら、皆さんロフトで遊びましょう!!!
まずはグッズを手に入れるのだ!
<Mr.Q>
■LEARNERS
LEARNERSが最初にLOFTのステージに立った日の事を憶えている。このステージにこのバンドで立てた喜びを噛み締めながら思い切りライブをした。それ以降、激しい打ち上げも経験しLOFTらしさを存分に味あわせてもらってきています。
「伝説の」と言われながら、いつの時もフラットにバンドを迎え入れてくれる懐深いライブハウスであるLOFTをメンバー一同、愛して止みません。微力ながら応援しております。
■RUDE BONES
コロナで大変な時、ロフトも例外ではなく、支援グッズが発売されるとの事です。
ルードボーンズにとって、ロフトは最もお世話になっているライブハウスです。ライブはもちろんですが、ワンファン(偶数月の第一土曜)という無料のスカイベントを二十年やらして頂いてます。そんなイベントまず無いです、ワンファンくらいでしょう。
ロフトには感謝しかありません。当時店長の東田さんに許可をもらったはず、その後、大塚さん、現在の柳沢さんに至っても、みんなが変わらずワンファンを大事にしてくれています。
ロフトは自分にとって大事なホームです。また、この騒動が落ち着いてライブやイベントを復活した時のために、この辛い時期を皆さんの協力で乗り切れたらと切に願います。ロフトを救いましょう!何卒、よろしくお願いします。
<OKAWA>
■WRENCH
憧れだった市松文様のステージに立つことが出来るようになってもう25.6年。小滝橋通りから歌舞伎町に移転した今現在もLOFTは日本のライブハウスの至宝です。
数多の伝説がここで生まれ、これからもその歴史を更新していく聖地です。無くしてはならないし断固応援しています!
■路地裏の僕たち
元気ですか~!元気があれば何でもできる!行けばわかるさ~ありがとう~
樋口さんにお世話になってる、山梨県富士吉田市出身のアラフォーのおっさんでございます。新宿ロフトはバンドマン憧れのライブハウスであり、ここで、フジファブリック志村正彦も歩みだし、育てられ、彼の音楽人生の中でなくてはならない大切な場所だと思います。正彦がつないでくれた不思議なご縁で、同級生の僕たちが失礼ながら樋口さんと仲良くさせていただいております。本当に感謝しかありません。
このような大変な状況で、厳しい現実だと思いますが、明るく前を向いて共に乗り越えていきましょう。ロフトと樋口さんに、富士山の麓から元気玉を送ります。
追伸:ロフトがライブ再開できるようになったら必ず行きます。そして、富士吉田でもスナックでのカラオケをしましょうね。
新宿ロフトは永久に不滅です。
<隊長 渡辺雅人>
■ロリータ18号
こんな事になった。
いままで当たり前にしていた好きな事が出来なくなった・・・
だからこそ「当たり前」が愛おしい。
ライブをやること。
ライブに行く事。
当たり前だと思っていたけど、実はとっても尊いことだった。
恥ずかしいけど、それが改めてよく分かった。
悔しいけど、この糞コロナが唯一教えてくれた事。
だからアタシは思う。
とにかくなんとか元気に生き延びて、損して得取れ、と。
これを教訓にして、絶対に生きて、また新宿ロフトで楽しいライブをやる為に今の生活は自分だけでも最善を尽くす。
それがきっと人の為にもなる。
アタシは生きる。
皆さん、また新宿ロフトで会いましょう!
しかもバリバリ元気で。
追伸:ロフトスタッフの皆さま、いつもありがとうございます!
何かロリータ18号がやれる事ありましたらいつでもHPにメール下さい。
そしてまたライブお願いします!
またお世話して下さい!
ロフトのグッズ買うね。
(その昔ロリータ18号はオーディションのテープ審査に2回落ちたけど・・・笑)
<石坂マサヨ>
■渡辺隆之
LOFT、大好きなLOFT。
次に子供が生まれたら名前は達郎LOFT。
消えないLOFTの灯火。
次会う時はLOFTの灯火で聖火リレー。
受付期間は【6/14(日)23:59】まで。